第四章:片道の風が吹く
──探しものは、帰り道を忘れさせる。
その日、帰り道の途中でチノスケは気がついた。
ポケットの中にあったはずのティッシュが、どこにもない。
さっき使った記憶はある。けれど、ちゃんとポケットに戻したかは覚えていない。
「あれ……」
そうつぶやいて立ち止まったとき、風が吹いた。
鼻の奥が、すうっと涼しくなった。
いつもなら、そのまま忘れてしまっていただろう。
けれどその日は、違った。
「探さなきゃ」と思った。
階段を下りていく。
いつのまにか、商店街の裏手に出ていた。
細い路地の途中に、小さな階段がある。
その先に、何があるのかは知らない。
でも、なぜか今日はそこへ行かなければいけない気がした。
どこまで下りたのか、もうわからなかった。
階段は、いつの間にか土の斜面になり、足元は少し湿っていた。
チノスケは立ち止まった。
何を探してたんやっけ?
ティッシュ、やったか。いや、もっと前に、何かを……
それが思い出せそうで、思い出せなかった。
まるで風が、その“何か”を包んで、どこかへ運んでいったみたいだった。
そして、チノスケの中には、空白だけが残っていた。
「……まあ、ええか。」
そう呟いたとき、その空白は、空っぽではなくなった。
忘れたことが、ちょっとだけありがたかった。
もしそれを覚えていたら、きっと、もう少し息がしづらかった。
帰り道がわからなかったけれど、どこかへ向かって歩いている気がした。
風は、相変わらず一方向に吹いていた。
その風は、チノスケの体の奥の、ずっと前からふさがっていた通路を、そっと通り抜けていった。